舞姫の“卵巣腫瘍”回想録 − 【第一章】疾患発覚〜入院前夜まで。

1.「水面下で起動した、もうひとつの“未知への挑戦”」
2.「舞姫を導いた森林の劇場!」
3.「発表会終了〜入院当日を迎えるまで」





1.「水面下で起動した、もうひとつの“未知への挑戦”」

舞姫にとって貴重な“未知への挑戦”だった、去る'10年9月の“KEN.VOCAL SCHOOL”さんとのコラボレーション(「思い出ドキュメント」は、こちら)。そして、円形劇場を使用した“3方面”構成にて上演の秋のスタジオ発表会(「思い出ドキュメント」は、こちら)も、自分にとって貴重な“未知への挑戦”だったわけですが、こちらも同年10月末に無事終了したことは、既に報告させて頂いた通りです。ぢつは、この2つの“未知への挑戦”のうちのひとつだったKEN先生の舞台の話が持ち上がった当時、もうひとつの“未知への挑戦”が水面下で秘かに動き始めていました。

まず、自分は若い頃から“お通じ”の良くない人間だったのですが、ここ最近は普段にも増してお通じが悪く、腹部に妙な膨張感もあったので、股関節の持病でリハビリ通院する整形外科と同じ施設内に併設される内科を受診したのが'10年8月初旬、職場やスタジオが夏休みに入る少し前のことです。取り合えずレントゲンとCTを撮って頂いたところ、お腹に大きな“腫れモノ”が見付かって、内科のM先生曰く、どうやら婦人科系の疾患らしいというのです。

そんなわけで、M先生に紹介して頂いた婦人科を訪ねたところ、さらに詳しく検査をということになり、造影CT&MRI・血液検査・経膣エコーなど、諸々の検査が行われ、この結果が出たのが8月中旬のことです。婦人科のY・S先生が告げた疾患名は、“卵巣腫瘍”(←「産婦人科の基礎知識」より)。コアな話をすると、左右双方の卵巣に腫瘍が確認され、右は“粘液性腺腫”(少し粘り気のある液体でできた腫瘍)、そして左は“奇形腫”(故・手塚治虫氏の名作「ブラックジャック」に登場する“ピノコ”のモデルとなった腫瘍だそうです。アッチョンブリケ!)とのことでした。

“沈黙の疾患”とは、よく言ったものです。自覚症状が出にくく、今回の舞姫のように便秘や腹部膨張感などをきっかけに発覚する場合も多いそうです。幸い、殆どの場合が“良性”で、Y・S先生も「たぶん大丈夫」とは言ってくださったものの、最新鋭の検査技術にも限界があって、“良性”or“悪性”かは、実際に切らないことには最終的な判断は不可とのこと。で、悪性の可能性を完全に否定できない限りには、他の箇所への転移も危惧されるし、良性or悪性を問わず、破裂や“茎捻転”(けいねんてん:卵巣が捻れてうっ血して激しい腹痛が生じ、処置が遅れれば命にかかわる危険性も)の恐れもあるため、「可能であれば、早く摘出したほうがいい」…と、Y・S先生からは早期の手術を勧められました。

意外な疾患名の宣告&手術の勧めに、舞姫がうろたえたことは、言うまでもありません。折りしも当時スタジオでは“KEN.VOCAL SCHOOL”さんの舞台の客演話が持ち上がっており、そして毎年恒例の秋の発表会のほうは、先攻で7月より稽古に突入していた2作品が既に完成に近いほど出来上がっていました。9月のKEN先生の舞台は、ジャズバンドのみなさんによる“生演奏”&札幌在住ジャズヴォーカリストMizuhoさんの“生ヴォーカル”との夢のコラボ。そして10月末の発表会は、ダンスの舞台作品では滅多にないであろう“3方面”構成です。自分にとって“未知への挑戦”となるこの舞台、双方とも蹴りたくない!…舞姫は、頭を抱えた。

無論、もし短期間の入院で済んで早期の稽古復帰が可能なら、思い切って速攻で手術に踏み切ることも考えました。ただ、右側の粘液性腺腫は腹部の殆どを占拠して胃腸を上に持ち上げるほど巨大化しており(舞姫の便秘の大きな要因が、これです)、もう既に簡単な手術で済むような範囲ではなかったことは勿論、術後の身体能力の回復にも時間が掛かるため、早期の稽古復帰は当然無理。それより発表会さえ無事に済めば、ジャズのスタジオでも当分は大きなイベントはない筈。じっくり治療に専念するなら、この時期しかない。

9月&10月にジャズダンスの舞台を控えていることをお話ししたうえで「すみません、11月まで待って頂けませんか?」…考え抜いた挙句、舞姫はY・S先生に手術の延期をお願いした。幸い、便秘&腹部膨張感以外では現状で苦痛な症状もなく、職場の仕事にもダンスの稽古にも大きな支障がなかったというのもあり、Y・S先生も舞姫の希望を快く承諾してくださり、手術は発表会が無事終了した直後の11月初旬に行われることになり、その間は経過観察という形で様子を伺うことになりました。ただ、Y・S先生が最も心配したのは、いつ起こるか判らない“茎捻転”。状況によっては、緊急手術による卵巣摘出の危険性を孕むそうで、少しでも異常を憶えることがあれば、予約日以外でも構わないので直ぐに相談してください…とのことでした。

診察室まで一緒に来た母は、泣いた。「次の機会があるでしょう!」…悪性や茎捻転の可能性を承知で舞台に立つことで、自分は命を危険に晒すことになるかもしれない。けど、股関節の持病や今回の卵巣腫瘍のことを抜きにして考えても、既に45歳の高齢ダンサーである自分に、もう“次”は巡ってこないかもしれない。だから…この舞台をどうしても自分は蹴りたくなかった。かくして、これが手術デヴューとなる舞姫の、知られざる“未知への挑戦”は、水面下で起動し始めたわけでした。

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2.「舞姫を導いた森林の劇場!」

そんなわけで、疾患名を告げられた8月中旬から、発表会が無事終了して入院&手術を迎えるまでの間は、定期的な検診で様子を伺いながら稽古を続けることになった舞姫ですが、まずは取り急ぎジャズのスタジオのT先生に報告メールを送りました。疾患名が“卵巣腫瘍”であること。“悪性”を否定できないことや、命にかかわる“茎捻転”の危険性。そして、婦人科のY・S先生とも充分に話し合って理解を得たうえで発表会への出演を決意したこと等、一部始終です。自分的には極秘プロジェクトとして水面下で起動した“未知への挑戦”でしたが、さすがにスタジオ代表者のT先生には、隠し通すわけにはいきません。

ただし、他の先生達やレギュラークラスのチームメイト達には、取り合えず伏せて頂くようお願いしました。殊にT先生の“秘書”的な存在であるH先生&K先生は、毎年の発表会を迎えるこの時期、諸々の準備のため激務に追われます。至らない自分が厄介な疾患を抱えてしまったばっかりに、気苦労の種を増やしてしまうことは、自分も心苦しいし、可能であれば舞台が無事終了するまでは知られたくない。無論、一緒に舞台に立つレギュラーのチームメイト達にも、心配も迷惑も掛けたくなかったし、普段と変わらず接してほしかった。この舞姫のお願いを、T先生も快く聞き入れてくれました。ただ「迷惑を掛けたら申し訳ないと思って無理をしないように。○○(←舞姫の苗字です)の身体は○○にしか判らないから、責任もって対処すること!」と、これだけは重々言われました。

「なにも、いま無理して舞台に立たなくたって、次の機会があるでしょう!」…そう言って診察室で泣いた母。無論、患者それぞれの症状や身体能力、医師の解釈などによっても診断や改善策は異なるけど、発覚した時点で既に右側の“粘液性腺腫”が腹部の殆どを埋め尽くすほどに膨らんでいた(直径15cmを超える巨大サイズ!)舞姫の場合、破裂や茎捻転の危険性などを考慮しても、本来であれば激しい運動などは禁忌行為。医師によっては、それこそスポーツやダンスなどと「以ての外!」と言って禁じるという。

確かに、夏の某公演も秋のスタジオ発表会も、恒例行事として毎年1回、必ず巡ってくる。己の“命”を危険に晒す羽目になるかもしれないリスクを冒してまで、目の前にある舞台にこだわる必要はない。ぽろぽろ涙を流す母の姿を見て、さすがに申し訳ないと思った。ただ、あえて舞姫がこの発表会への出演にこだわったのは、既に45歳に達していた自分の年齢から考えて、今回の婦人科疾患や持病である股関節疾患うんぬんを抜きにしても、もう“次”は巡ってこないかもしれないという思いも確かにあったけど、理由はほかにも存在しました。

ジャズのスタジオで発表会が毎年の恒例行事として定着して今年(2010年現在)で16年目になりますが、ぢつは過去に1度だけ、この森林の円形劇場を使用した“3方面”構成での上演歴があります。「お気楽日記」で既に何度か触れているので、ご記憶のかたもおられるかもしれないですが、ぢつは10年以上も前、諸事情あって自分はダンスの現場から1年ほど離れたことがあり、当時の発表会がこの過去に1度だけあった森林の円形劇場での上演で、無論このときスタジオから遠ざかっていた舞姫は未出演です。

だから、この円形劇場の舞台に、どうしても自分は立ちたかった。「みんなと一緒なら、どこだって行けるし、何だってできるよ」…昨年の発表会(「思い出ドキュメント」は、こちら)の公演パンフに掲載して頂いた自分の言葉…それを、舞姫は嘘にしたくなかった。その思いが、己のお腹に“爆弾”を抱えてしまった自分を、都会の喧騒から遠く離れたこの森林の劇場へと導いたわけでした。

幸い、発表会の舞台を無事に成し遂げたことは既に報告済みですが、稽古を続けながら本番を迎えるまでの間ずっと不安だったのは、現状としての症状悪化だけではなかった。術後、自分は再び舞台に立てるようになれるのか?…諸事情でスタジオを離れた10年前の当時、既に30歳を過ぎていた自分のレギュラー復帰に至るまでの記憶を辿れば、現在45歳の高齢ダンサーである自分が消失する身体能力をリカバリーすることは至難の業な筈。股関節の持病が発覚して以降、自分が一貫して保存療法オンリーにこだわり続けてきたいちばんの理由が、そこにあります。トラウマと化して現在も舞姫の記憶に残る、10年前のあのときの苦悩を思い起こせば、手術に伴って“浦島太郎”状態と化すであろう自分には、“玉手箱”を開けてしまったときにリカバリーできる自信がなかったからです。

「お願い…もう少しだけ、みんなと一緒に、ここにいさせて!」…刻々と終演のときが迫るフィナーレで、過ぎ去っていく時間を惜しむように、舞姫は神様に祈った。この舞台が終わったら、“まな板の上の鯉”状態と化す自分は、みんなと一緒に踊れるのは、これが最後になるかもしれない。…そんな複雑な思いを抱いたまま、一瞬のうちに去っていく舞台上での時間を、舞姫は大切に大切に過ごした。この婦人科疾患が発覚して以降も、発表会のことで手一杯でしたが、舞台も無事終了して、ようやく重い腰を上げて入院の準備に取り掛かりました。舞姫の、もうひとつの“未知への挑戦”は、いよいよ最も大きな山場を迎えようとしていました。

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3.「発表会終了〜入院当日を迎えるまで」

これが入院&手術デヴューとなる自分は無論、右も左も判らないので、早目早目に準備を整えたいところでしたが、とにかく発表会が無事終了するまでは、舞台のことで手一杯という状況で、肝心な入院の準備は一向に捗りません(汗)。横着者の舞姫が、ようやく入院の準備に本格的に取り掛かったのは、発表会を終えて以降のことでした。

まずは、いつも劇場入りの際に愛用する巨大バッグを解体整理して中身をカラッポにし(入院準備が捗らなかった理由のひとつが、これ。当然、発表会でも使用したこの巨大バッグには、本番が無事に終了するまでは、入院に伴う必要グッズを事前に詰め込むことができなかった。汗)、事前に婦人科で頂いた入院患者さん向けの説明書を参考に、諸々のグッズを少しずつ揃えて詰め込んでいきました。

ネットでの情報収集には、事欠きませんでした。思い起こせば、股関節の持病の発覚当時は、ネットで調べても上位検索される殆どが小難しい医療系の専門サイトばかりだったので、自分もかなり困惑したことを記憶しています。その持病の発覚以降、現在に至るまで試行錯誤しながら続けてきた情報収集で、自分流の検索エンジン活用の要領などが身に付いてきたというのも勿論ありますが、今回発覚した“卵巣腫瘍”の場合は、なにせ広く知られる婦人科疾患の代表格なので、判りやすく解説されるWEBページも数多く見つけ出すことができましたし、患者さん自身が作成されるサイトやブログなども、内容的にもとても充実したものが多く、入院の際の必要グッズなど、舞姫もとても参考にさせて頂きました。♪

ちなみに、舞姫が今回お世話になる某総合病院内の入院施設は、残念ながらパソコンの持ち込みが不可なので、しばらくネット環境からは離れなければなりません。これに伴い、ネット絡みの作業も入院前に可能な限り済ませておきたいところです。ただ、発表会が無事に終わった途端に、さすがにデデッと疲れが出たみたいで、この場に及んでちょっと風邪気味で微熱に苦戦する羽目になってしまったのですが(汗)、入院準備の合間を縫って、どうにか本番前日&当日の記事を執筆して日記へアップし、これで一段落。(´▽`)

そして入院前夜には、しばらくネット環境を離れる旨の“お知らせ”の記事を日記へ掲載し、掲示板Twitterへも同様のお知らせを投稿。発表会が終わるまでは、スタジオ代表者T先生にも周囲に伏せて頂くようお願いしていた都合上、世界中の人達が閲覧可能なネット上ではカミングアウトできない事情もあったのですが、その発表会も無事に済んで“解禁”となり、知られてまずいわけではなくなったけど、なんとなしに言い出しにくくて、この時点では結局ネット上でもカミングアウトはナシのままにすることに。「では、みなさん、またお会いしましょう。(^^)/~~~」とは記したものの、本当に自分はここへ生きて還ることができるのだろうか?…などと、一抹の不安も抱いたけど、記したことがウソにならないよう、症状改善に努めるのみです。

入院期間中、最も気掛かりなのは、愛猫のこと。自分にとって大きな心の支えである愛猫と、しばらく一緒に過ごせなくなることは淋しいですが、致し方ありません。普段は自分がやってる猫用トイレの掃除も含め、留守中は愛猫の諸々の世話を両親にお願いすることに。なお、しばらくネット環境からも離れなくてはならないこともあり、入院期間中かなり退屈してしまうであろうことも予測し、時間つぶし対策として“電子辞書”(←シャープ(株)より)なるブツを購入。アナログ人間の自分に、こんなブツが使いこなせるのかどうか、ちょっと不安でしたが(汗)、実際に動かしてみると、なかなか楽しいです。(^^)

そんなわけで、発表会が終わった時点では何ひとつ満足に入院準備ができておらず、一時はどうなることかと思って焦りましたが(汗)、どうにか前夜までにはそれらしい準備を整えることができました。発表会終了以降、微熱に頭を抱えて準備に苦戦した舞姫ですが、おかげさまで体温も下がって平熱に戻り、また発表会の稽古中ずっと不調だった股関節もどうにか復調し、体調はまずまずといったところです。

一夜明けて入院当日は、翌日の手術に備えて、造影剤を使うレントゲン検査が予定されていたため、食事を採らずに自宅を出掛けることに。退院する頃には外もかなり寒くなっているであろうことを予測し、服装は暖かめなものをチョイス。舞台の劇場入りのときと同様に、まるで夜逃げするが如くの大荷物になってしまいましたが、愛用の“抱き枕”も忘れずに持参して(横向きの姿勢で寝る際、これを両脚の間に挟まないと、自分は眠れません)、母と一緒にタクシーに乗り込んで入院施設のある某総合病院へと向かった次第でした。

→【第二章】へ続く

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