思い出ドキュメント … 当時の「お気楽日記」より転載および加筆修正
『プレミアムコーラスナイト2010 〜ルーツミュージックへの旅〜』 @2010年9月26日(日)

★10年9月26日(日) 素敵な機会となった“未知への挑戦”。♪
★10年9月25日(土) そして、懐かしい“デヴュー”の舞台へ!




★10年9月26日(日)
 素敵な機会となった“未知への挑戦”。♪

いよいよ、本番の日を迎えました。気になりつつ、つい確認しそびれていた当日の舞台メイクの件、先達てスタジオでの最後の稽古が行われた際に、ようやく確認できまして、まぁ場所はキャパ360名程度の小劇場なので、いつもの舞台のときにするような、がっつり濃い舞台メイク(某友人は、これを“厚生年金ニトリ文化ホールの旧称)メイク”と呼んでいたw)まではしなくても大丈夫なような気もしたし、ぶっちゃけ“つけまつげ”なども要らないんぢゃないかと思っていたのですが、舞姫の予測した通り、H先生曰く「日常メイクの延長程度でOK。任せるので、各自で素敵な顔を作ってください」とのことでした。

そうか、日常メイクの延長程度で大丈夫のなら…と思い、劇場入りして以降の時間&手間隙の軽減のために、このまま舞台に立ってしまっても取り合えずOKなくらいまでのメイクを、自宅を出掛ける前に完成させてしまうことに。まずは、劇場のロビーに先生達&チームメイト達で集合してから楽屋入りという段取りになっていたのですが、舞姫がロビーに到着すると、まだ誰も来ていません。もしや、待ち合わせの時刻を間違えたかっ?…と、一瞬不安になったのですが(汗)、そのうちチームメイト達も続々と到着し、全員揃ったことを確認すると、ぞろぞろと集団で楽屋へと向かうことに。

女性出演者全員の楽屋は、ヴォーカルスクールの生徒さん達と兼用。舞姫&チームメイト達が楽屋に入ると、既に芋の子を洗うような密集状態です。自宅でメイクを済ませてきたのは正解でした。この状況では、すっぴん状態で楽屋入りしても、落ち着いてメイクできる余裕までは作れなかったかもしれないです。ウォームアップする場の確保も難しそうな感じだったので(あくまで主役はヴォーカルスクールの生徒さん達。狭い楽屋を客演の我々だけで占領するのは、申し訳ないです)、まずはスクールの生徒さん達との共演作の衣装に着替えると、取り合えず客席へと移ることに。

スタッフさん達の邪魔にならないよう、客席後方に移動すると、既に始まっていたリハーサルの様子を見学しながらウォームアップ。ちなみに選曲は、故マイケル・ジャクソンのヒットメドレーや、懐かしのDISCOメドレー、スタンダードなポップスの名曲など、アラフォー世代の舞姫にとって、耳に馴染みのある楽曲ばかりです。やがて我々の出演作品の舞台稽古が行われることになり、みんなで舞台へ上がると、主宰者のKen先生&バンドのみなさん、スタッフさん達に「よろしくお願いしま〜す!」と挨拶。

それにしても、舞台が狭い…。ぢつは自分も若かりし学生時代ミュージシャン志望だったんで、ちょっとだけ判るんですが、この類の楽器の演奏を伴う公演というのは、実際に演奏するミュージシャンさん達のスペースは勿論、音響機器もあるし、床には楽器やマイク等を繋ぐ配線が這い巡り、意外と場所を取るものです。まして、まがりなりにも20年前にこの小劇場に立った経歴を持つ舞姫は、ここの狭さを知っています。舞姫が危惧した通り、舞台上はバンドのみなさんやコーラス隊のみなさんが上がる台が組まれ、我々がMAX状態で踊ろうものなら、間違いなく機材を蹴っ飛ばしそうな状況.。しかも、舞台上の床にはリノリウム(linoleum:おもにダンス公演の際などに舞台上に敷き詰める、塩化ビニール製の床材)なども敷かれてなく、足場も悪そう…orz

無論、スタジオでも“かなり狭い”ことを想定したうえで稽古は続けてきたけど、現実に舞台の狭さを実感すると不安は募る。「少しでも、踊れるスペースを広げてもらえると助かるんですが(汗)」…さっそくT先生が交渉を始めました。スタッフさん達も快く応じてくださり、舞台前方にあるごついモニタースピーカーの位置を変更したり、配線なども少し整理してくださり、我々がパフォーマンス可能なスペースを速やかに確保してくださいました(嬉)。ただ、舞台袖は装置で殆ど塞がっている状態で、我々が出捌けに使えるのは上手&下手ともに、いちばん手前の1袖のみ。けど我々側も勿論、こういう状況にも臨機応変に対応していかなくてはなりません。

不安の題材は、舞台の狭さだけではないです。今回、我々が出演させて頂く2作品のうち、ひとつはスクールの生徒さん達とのコラボ作品、そしてもうひとつは、去る夏の某公演(「思い出ドキュメント」は、こちら)にて上演の“スタジオ本編作”からの抜粋で、使用する楽曲は札幌在住のジャズ・ヴォーカリストMizuhoさんの歌う「Over the Rainbow」です。これを今回の再演では、バンドの“生演奏”&Mizuhoさんの“生ヴォーカル”で踊らせて頂くことになります。クラシックバレエなら、古典の全幕モノの作品など大掛かりな公演になると、オーケストラの生演奏入りでの上演もありますが、既存の音源以外では上演の機会に乏しい我々ジャズダンサーは、“生演奏”で踊ることに慣れていません。

勿論、アレンジや尺などは、初演時で使用した音源に合わせた形で演奏して頂くことになってはいるのですが、それでも“生”ですから実際に耳に響いてくる雰囲気も違うし、テンポやタイミングなども微妙に掴みにくかったりする事態も起こると思います。我々にとって、“未知への挑戦”となる“生演奏”との共演に、代表者のT先生からも要注意を促されてきました。我々も急に決まった客演で、あまり時間的にも余裕がなく、当日のリハーサルでしか、Mizuhoさん&バンドのメンバーさん達と一緒に稽古をする機会がないという状況だったので、舞姫としても一抹の不安を抱きながら本番の日を迎えたわけですが、よく音を聴いて、バンドのメンバーさん達とも気持ちを揃えて、納得できるパフォーマンスができるよう、精一杯を尽くすのみです。

途中、スクールの生徒さん達とのコラボ作品で、我々が稽古で使用していた音源と、バンドのみなさんの演奏とで、“尺”が違う箇所があったりして、少々戸惑う一幕もありましたが、こちらも迅速に対処してくださり(さすが、プロのミュージシャンですね)、取り立てて大きなアクシデントに見舞われることなくリハーサルは終了し、その後は出演者各自、楽屋に戻って開演に備えることに。舞姫も、メイクの崩れた箇所のみ簡単に修正を済ませると、アップしながら待機。こういうときに、股関節の持病のリハビリ通院で指導される訓練は意外と重宝するもので、狭いスペースでもウォームアップが可能なので、とても有り難いです。♪

そして開演の時は訪れ、舞姫は20年振りにこの小劇場の舞台に立ちました。“生演奏”で踊った経験のなかった我々にとって“未知への挑戦”だった今回の舞台でしたが、ジャズバンドのみなさんの素敵な演奏&Mizuhoさんの美しいヴォーカルで、舞姫も終始気持ちよく踊ることができました。ヴォーカルスクールの生徒さん達も、畑違いの世界からやって来た我々を暖かく迎え入れてくださり、たくさんの人達に支えられ、舞姫もチームメイト達と一緒に楽しく本番を務めさせて頂きました。こんなに素敵な機会をくださったKen先生&Mizuhoさん、ヴォーカルスクールの生徒さん達、バンドのミュージシャンのみなさん、スタッフのみなさんに、心から感謝したいと思います。m(__)m

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★10年9月25日(土) そして、懐かしい“デヴュー”の舞台へ!

札幌市教育文化会館・小ホール…以前、日記でも少々触れておりましたが、ぢつはこのホール、舞台人としての舞姫の20年前の“デヴュー”の場でした。舞姫は、かつてこの教育文化会館が主宰していた「教文演劇セミナー」の出身です。あいにくネットが普及する以前に既に廃止となり、現在ではネット上では殆ど情報が拾えないのですが(ちなみにGoogleで調べてみたら、舞姫が以前鑑賞した同セミナー第一期卒業生の先輩達が中心となって結成された某劇団の公演レヴューがトップ検索されてしまった…orz)、高校生以上を対象とし、演劇人の育成を目指して開講され、第一期〜第八期までのセミナー生達が巣立っていきました。

ちなみに舞姫は、このセミナーの第五期卒業生ですが、演技の基本や裏方の仕事、朗読、クラシックバレエ、ジャズダンス、タップダンス、日本舞踊…などなど、広く浅くではありますが、2年間の受講期間でさまざまなことを学んだことを記憶しており、ここで過ごした時間が現在でもなお舞台人としての舞姫の“礎”となっています。当時、同会館にて毎年11月3日に開催されていた“子供文化祭”では、現役で学ぶセミナー生達の出演による30分ほどの短い児童劇を小ホールで上演するのが恒例行事で、この児童劇が舞姫の記念すべきデヴューとなり、2年間の集大成ともいえる“卒業公演”も、勿論この小ホールでの上演でした。懐かしいです。こうして書いているだけで、当時のさまざまな思い出が記憶に蘇ってきます。♪

始めたきっかけは、至って単純。当時は取り立てて趣味もなく、職場と自宅との往復だけが生活のすべてという地味なOLだった舞姫ですが、「広報さっぽろ」に同セミナー第五期受講生募集の記事が掲載されていたのが眼に留まり、基本的にレッスンは週3回で時間帯は夜からということで、仕事とも両立できそうな感じだったので、習い事感覚的な軽い気持ちで受講を決めました。その後、テレビで偶然観た宝塚歌劇団の舞台中継に、いたく感銘を受けた舞姫は舞台の楽しさにハマって、さらにこのセミナーをきっかけにダンスの魅力に目覚めた舞姫は、セミナー卒業公演を終えた年の冬に、T先生のジャズダンススタジオの門を叩き、現在に至るというわけです。

思い起こせば、当時たまたま「広報さっぽろ」をパラパラ捲っていただけに過ぎなかった若き日の舞姫は、自分がその後20年を経ても舞台に立ち続けることになろうなどと、予測もしなかったことでしょう。なお、当時舞姫と一緒に学んだ同じ第五期のクラスメイト達のなかで、現在も舞台活動を続けるのは、自分の知る限りでは舞姫自身を含めほんの数名程度で、卒業後はその殆どが舞台の世界から足を洗ってしまい、交流の途絶えてしまった同期のクラスメイト達が現在どこで何をして過ごしているのかすら、舞姫は知る術を持ちません。

無論この20年の間、さまざまなことがありました。一時期いろいろ考える節もあって、1年間ほどダンスの現場から離れたこともあったけど、ただでさえ運動オンチな晩学ダンサーが、これまで数え切れないほどたくさんの素敵な舞台に立って、アマチュアとしてこの上も無いほど恵まれた活動をさせて頂いてきたと思います。大好きなダンスや舞台の世界の楽しさや魅力を、より多くの人達に伝えたくて、5年前には個人サイト「薄野の舞姫」を開設。そして、2年前には股関節の持病が発覚。…けど、45歳となった現在もなお、舞姫は元気に舞台に立ち続けています。その舞姫の舞台人としての“原点”は、この教文小ホールにあります。

あした舞姫は、この思い出の詰まった教文小ホールの舞台に、20年振りに立ちます。縁あって実現することとなった“KEN.VOCAL SCHOOL”さんの舞台での客演。ジャズバンドのみなさんによる“生演奏”&ジャズヴォーカリストMizuhoさんの生ヴォーカルとの共演は、舞姫にとって“未知への挑戦”です。20年間、続けてきたからこそ得られた貴重な機会ですが、思いもよらぬ形でこの懐かしい劇場の小ホールに立つ機会に恵まれたことを、とても嬉しく思っています。どんな舞台になるんだろう?…いまから、とてもわくわくする自分を感じています。20年前の駆け出し時代の舞姫がタイムマシンに乗ってやって来て、客席で観ているような錯覚に陥るんだろうか?けど、可能な限りを尽くして、納得できるパフォーマンスができるよう、努めたいと思います。♪

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